京の子どもたち

スピードの中で精神は肉体を超越する」byトーマス・エドワード・ローレンス


"アラビアのロレンス"の言葉だ。彼も単車乗りだったんだよなあ。札幌〜函館間でそういう気分を味わったことがある。ちなみに"スピード"は何だか気持ちよくなるクスリとかではない。

土曜日(9/27)夕刻の京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場−−来年までおぼえられないから−−では小学生のサッカー選手な子どもたちが精一杯のプレイを見せてくれていた。何の大会だったか、その数、二十チームはあったかも知れない。

大会の表彰式が終わり、子どもたちが陸上競技場のトラックに沿ってバクスタからオレらがいる北スタまで行進して来たとほぼ同時に、心地よい拍手が鳴り出した。

振り向くと、北スタの三分の一ほどが立ったまま、全体で半分近い犬サポたちが彼らを拍手で迎えていた。バクスタの紫な人たちは……そこで気付いたように、それでもまばらに応えるだけだった。

子どもたちの試合中の奮闘ぶりは正直ハッキリは見えていなかった。しかし、オレらの手拍子に応えて両手を上げ、振り回し、飛び跳ねながら前進する彼・彼女らにエールもさらに強まっていく。未来あるフットボールプレイヤーたちに「ジェフに来いよ!」と叫んだサポもいた……オレだよ。

二十近くあるチームの長い行進。コーチ役らしい大人たちも反応し、子どもたちのアクションを煽ってくれる。終盤、黄と緑の、胸にSEGAのロゴが入ってそうなチームがやって来た時、ボルテージは最高に達したと思う。そんなことに夢中になるオレら。

そんなこと? いや、そんなことじゃない。その時、自分は京都に勝っていた。その精神の優位性において。

拍手や声援に応える子どもらのよろこぶ様子がそのまんまオレらのパワーになる。京都という敵地にあって、最も元気な子どもたちからエネルギーをもらい受ける。それが自分たちが90分間、声を出し、手を叩き、飛び跳ねる、その燃料になっていく。何倍にも大きくなって。それができる精神的余裕、すなわち精神的優位。試合開始前の時点で、すでに負ける気はしなかった。

オレら的にはいつものフクアリのまんまなんだけどね。ジェットスフィンのみんなへの手拍子がオレらのパワーに転換されていくように。フクアリのゴル裏からスタンドまでの一体化はそこから始まっているんだな。

選手入場後の西京極。"WIN BY ALL"コールの後の"あっこちゃん"の時、ふと、真左のバクスタ側に振り向いたら、タオルを回してる子どもたちがいた。黄色でなく、青や白、中には紫もあったけど、"あっこちゃん"に合わせて懸命に振り回してくれていた。

そんな大勢ではなかったけど、試合前の行進に対して送ったエールへのお返しをもらったんだと思うことにした。正直な子どもたちのこと、単に楽しそうだからやっただけかも知れないけど。

あの日、彼・彼女らのヒーローは我らが浩平だったと勝手に思っている。